オーダースーツの店に入ると、生地の見本帳に知らない社名が並んでいます。ゼニア、ロロ・ピアーナ、カノニコ、ドーメル。同じ仕立てなのに、どれを選ぶかで7万円ほど値段が動く。この記事では、その社名が何を意味しているのかと、上の生地に手を伸ばすのは何着目からかを扱います。糸の太さや織り方の数字については別の記事に書いたので、ここでは触れません。
同じ店・同じ仕立てで、生地だけ替えるといくら動くか
最初に値段を並べます。オーダースーツのグローバルスタイルが自社サイトで公表している、生地ブランドごとの価格です。仕立ても採寸も同じ店で、変わるのは生地だけ。
| 生地ブランド | 国 | 創業 | 1着の価格(税込) | 2着以上のときの1着あたり |
|---|---|---|---|---|
| カノニコ | イタリア | 1936年 | 75,900円〜 | 50,600円〜 |
| トレーニョ | イタリア | 1900年 | 85,800円〜 | 53,900円〜 |
| レダ | イタリア | 1865年 | 107,800円〜 | 61,600円〜 |
| ドーメル | フランス | 150年以上 | 136,400円〜 | 83,600円〜 |
| ロロ・ピアーナ | イタリア | 1924年 | 140,800円〜 | 85,800円〜 |
| エルメネジルド ゼニア | イタリア | 1910年 | 145,200円〜 | 88,000円〜 |
いちばん下といちばん上で、1着あたり69,300円の差があります。この差額が生地のアップチャージ。仕立ての工賃は同じなので、まるごと生地の値段だと考えていい。
面白いのは並び順です。創業が古い順でも、国の順でもありません。1865年のレダより1924年のロロ・ピアーナのほうが上に来ている。歴史の長さで値段が決まっているわけではない、というのが最初の手がかりです。
織元で変わるのは、糸そのものより最後の仕上げ
各社の紹介文を読むと、判で押したように同じ言葉が出てきます。原毛の調達から一貫。
カノニコは原毛をオーストラリアから直輸入し、紡績から生地までを一貫して生産していると書いています。レダは原毛の調達から生地の完成に至るまで、全工程を直接管理しているとのこと。ロロ・ピアーナも、原料の調達から生産まで徹底的に質を追求していると書いている。どこも同じことを言っているわけです。
つまり、この価格帯の織元はどこも川上から押さえていて、そこは差になっていない。では何が違うのか。差が出るのは、両端の2か所です。
入口は、どの羊を押さえられるか
1つ目は原毛の調達力。羊毛は農産物なので、細くて質のいいものは限られた量しか採れません。その年のいい原料を確保できるかどうかは、資金力と産地との関係で決まる。ここは技術ではなく、買い付けの強さの話です。
出口は、織ったあとの処理
2つ目が仕上げ。織り上がった布は、そのままでは服になりません。洗って、縮ませて、蒸して、圧をかけて、表面を整える。この工程で、手に取ったときの落ち感、光の反射、しわからの戻り方が決まります。
同じ産地の同じような原料を使っていても、ここの手順と時間の掛け方は各社で違う。そして仕上げの手順は公表されません。値段の差がいちばん出るのに、いちばん説明されないのがこの部分です。見本帳を触って「これが好きだ」と感じるとき、判断しているのはたいてい仕上げのほうでした。
ゼニアとロロ・ピアーナは、押さえている場所が違う
では本題。この2つは何が違うのか。値段はほとんど並んでいます。
ゼニアは1910年に北イタリアで創業した服地メーカーで、1980年代に既製服へ進出しました。百貨店でスーツやニットを売っている、あのゼニアと同じ会社です。生地を売る会社であり、服を売る会社でもある。だから見本帳の生地は、その会社が自分の服に使っている生地でもあります。
ロロ・ピアーナは1924年創業で、こちらは素材のほうを押さえた会社。カシミヤやビキューナといった高級素材を扱う服地メーカーとして、世界で最大級の取扱量を持ちます。毛の細い動物の原料を確保する力で、他社と差を付けている会社だと考えると分かりやすい。
| エルメネジルド ゼニア | ロロ・ピアーナ | |
|---|---|---|
| 創業 | 1910年 | 1924年 |
| 立ち位置 | 服地と既製服の両方を手がける | 高級素材の調達で世界最大級 |
| 名前の広がり方 | 1980年代の既製服進出で世界へ | 素材そのものの評価から |
| 生地に出やすい性格 | スーツとして仕立てる前提の設計 | 原料の質がそのまま出る手ざわり |
| 同じ店での価格 | 145,200円〜 | 140,800円〜 |
選び方に直すと、こうなります。スーツとして仕上がったときの見え方を優先するならゼニア。布そのものの手ざわりに払うつもりならロロ・ピアーナ。ただしこれは傾向の話で、両社とも幅の広い品ぞろえを持っています。実際には、同じブランドの中でシリーズごとの差のほうが大きいこともある。
見本帳の社名が、織元とは限らない
もう1つ、読み方として知っておくといいことがあります。見本帳に並ぶ社名の全部が、布を織っている会社ではありません。
ドーメルがその例です。150年以上の歴史を持つ会社ですが、本社はパリにあり、位置づけは服地の商社。そして扱っている主力は英国の高級生地です。フランスの会社の名前が付いた、イギリスで織られた布という構図になる。
これは悪い話ではありません。商社は各地の織元から良いものを選んで集める仕事なので、自社で織っていないぶん、産地をまたいだ品ぞろえができます。デザインの企画をこちらが持ち、織りは各地の工場へ出す、という形も普通にある。
知っておきたいのは、ブランド名から産地を推測しないほうがいいということだけ。気になる生地があったら、どこで織られたものかは店の人に聞けば分かります。見本帳の耳の部分に織元が記されていることも多い。
アップチャージを払う価値があるのは何着目か
ここが実務の話です。上の生地は、1着目に選ぶものではありません。
週5日スーツを着る仕事なら、必要なのはまず3着。1着を続けて着ると、しわが戻る時間が足りず、肘と膝の折り目が定着して、生地が早く傷みます。回すことが先で、質はその次。
金額に直すと、はっきりします。さっきの表でいちばん下の生地を3着そろえると、2着以上の価格で151,800円ほど。同じ3着をいちばん上の生地にすると264,000円ほどになります。差は約11万円。この11万円を1着目に使うと、そのぶん回す枚数が減って、結果として1着あたりの着用日数が増えます。
| 段階 | 選ぶ生地 | 考え方 |
|---|---|---|
| 1〜3着目 | 下の価格帯 | 回す枚数をそろえるのが先。1着あたりの着用日数を減らす |
| 4着目 | 1段上 | 回せる状態ができてから、質に払う |
| 勝負の1着 | 上の価格帯 | 着る回数が少ないぶん、長く保つ |
上の生地が効くのは、着る回数が減ってからだと考えると、順番が見えてきます。月に数回しか着ない人なら、最初から上の生地でも構わない。毎日着る人ほど、下の価格帯を複数そろえるほうが結果的に長く保ちます。
それから、1着目は採寸そのものが本番です。初めてのオーダーでは、肩の位置も丈も、実際に着て歩いてみるまで正解が分かりません。直しが入る前提の1着に、高い生地を使わないほうがいい。
生地ブランドを選んで仕立てるなら
HANABISHI(花菱)
この記事で並べたような織元の生地から選んで、採寸と仕立てまで店に任せられる形の店です。見本帳は店頭で実物に触れるので、写真では分からない厚みと表面の感じを、その場で確かめられます。1着目の採寸を残しておけば、2着目からの注文はずっと楽になる。
取り扱い生地・価格・キャンペーンの内容は時期によって変わります。来店前に公式サイトでご確認ください。
高い生地を勧めない場面もある
アップチャージが向かない使い方も書いておきます。
まず、鞄を肩に掛ける人。肩の上で擦れる部分は、生地の値段に関係なく毛羽立ちます。むしろ薄くて軽い生地ほど、擦れに弱いことがある。値段の高さが丈夫さを意味しない場面は、ここがいちばん分かりやすい。
次に、椅子に座っている時間が長い人。上着の背中とパンツのお尻は、座るたびに圧が掛かります。毎日同じ1着でこれをやると、上の生地でも先に光ります。解決するのは生地の値段ではなく、着回す枚数のほう。
手入れの手間も増えます。細い糸で織られた薄い生地は、家庭でのブラシ掛けや保管の仕方で差が出やすい。ハンガーを肩幅の合ったものに替える、着た日は一日休ませる。こうした習慣が続かないなら、払ったアップチャージは寿命に返ってきません。
最後に、正直なところを1つ。見本帳の小さな四角を触っただけで、仕上がりの差を言い当てられる人はそう多くありません。僕もそうです。だからこそ1着目は下の価格帯で作って、一年着てみてから2着目で上げる、という進め方をおすすめします。比べる相手が手元にあってはじめて、差が分かる。
まとめ
生地ブランドの値段は歴史の長さで並んでいません。この価格帯の織元はどこも原毛から一貫して作っていて、差が出るのはどの原料を押さえられるかと、織ったあとの仕上げの2か所でした。
ゼニアは服まで作る会社の生地、ロロ・ピアーナは素材の川上を押さえた会社の生地。値段はほぼ並んでいるので、どちらを選ぶかは好みで決めていい。ドーメルのように、社名が織元ではなく商社を指していることもあります。
アップチャージを払うのは4着目から。同じ店で下の生地と上の生地を3着ずつそろえると差は約11万円で、それを1着目に使うと回す枚数が減り、かえって早く傷みます。上の生地が効くのは、着る回数が減ってからです。
※本記事はプロモーションを含みます

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